かつて、施設に入居していた車椅子の紳士を私は担当したことがありました。彼はいつも寡黙で静かに微笑みながら「ありがとう」と、小さな声で周りの人々に感謝の言葉を述べる方でした。
自宅で暮らしていた頃から私が担当していましたが、彼が興奮したり大声を出したりした記憶はありません。
施設入居を決める
彼はかなりの認知症を患っており、同居している高齢の妻の負担が増えたため、静かな住宅型の施設に入居することになりました。
記憶にある限り、彼は鉱石の研究者だったようです。彼は広い敷地に家を建て、森林のような木々や岩や石段、茂った葉の間から陽光が差し込み、山野草や苔むした坂道が庭に広がっていた記憶があります。彼は物忘れや見当識障害、理解の混乱が見られましたが、好きな石に囲まれて手作りの山の中で過ごすことが生きがいだったのでしょう。
しかし頻繁に失禁が起こるようになり入居を決定したのです。妻も疲れ果てそれを承諾しました。
入所後の心身の変化
施設に入居してからは、彼の認知症は急速に進行し、やがて彼は車いすから動けなくなりました。自宅で自由に時間を使い、毎日山登りのような活動を楽しんでいた彼にとって、著しい運動量の低下は避けられませんでした。
わたしはいつも思います。どんなに効果的なリハビリを行っても、自分の意思で動き回る運動量にはかないません。彼は徐々に言葉を発することも少なくなり、自分から何かを訴えることも感情を表現することもなくなりました。
認知症でも心の中はピュア
彼の難聴も進み、まぶしいと目を閉じたまま、車いすに深くうなだれる姿勢で過ごすことが増えていましたが、ある日訪問すると何かを聞き取れない声でつぶやいているのです。私はそっと彼の顔を覗き込むようにして近づきました。彼の目は閉じたままで、わずかな笑みが口元に浮かんでいます。私は耳を澄ませてじっと聞くと「ありがとう」「順番、じゅんばん・・・」と消え入りそうな声で繰り返しています。
一瞬間をおいて、私はその意味に気づき、あっ!と声が出そうになりました。私の頭には、高齢で体力のない妻がほぼ毎日、短い時間ですが夫を訪ねてくる様子が浮かびました。施設に来るのは足腰が不自由になった人にとっては大変だったことでしょうが、彼女はスタッフに対しても心遣いを忘れず、育ちの良さがにじみ出る笑顔を絶やしませんでした。
夫はいつもそんな妻を守って生きてきました。おそらく、彼は妻に負担をかけるのが辛かったに違いありません。彼は天に召される順番を待っていたのです。
支援者にできること
長い間一緒に暮らしてきた施設のスタッフは、徐々に家族のような存在となり、錯乱して「死にたい」という利用者に対し「いま混んでるからね、順番だよー」と、明るく冗談を言って笑い飛ばしていたのですが。
車椅子の紳士は、きっと酷使してきた身体や、やさしい心が悲鳴を上げていたのでしょう。彼の心の声が漏れた瞬間、私は胸がいっぱいになりました。
私はケアマネジャーとして何ができるのか、おそらく何もできないのだろうと苦しくなりました。
癒すことができるのは家族だけなのかもしれません。しかし、妻を思いやる彼の心を考えたとき、そのことは妻に伝えることができませんでした。